※原作終了後の妄想
「だから今日は降るって言ったのに」
「ご、ごめん」
言わんこっちゃない、と私は不服そうにしながら手を動かした。水分をたっぷりと含んだファルマン少尉の髪は部屋の電気を受けてキラキラしている。擦ってしまわないよう、タオルで水を吸い取るように優しくやさしーく乾かしていく。もとより短髪なのでそう時間はかからない。たった数分程度の作業ですでにファルマン少尉の髪の毛はほとんど乾いていた。
今日の降水確率は80%だった。ラジオでそれを聞いた私は「傘持って行ってくださいね」と朝食を取る彼に伝えていた、はずだったのだが。30分ほど前、帰ってきたファルマン少尉がずぶ濡れで仰天したのは言うまでもない。慌てて彼をお風呂にぶち込むと、後から沸々と怒りが湧いてくる。ちゃんと玄関に出してあったのに、とか明日までに軍服乾くだろうかとか夕飯の支度そっちのけで悶々と考えていたらシャワーの音が止んでこれまたびしょ濡れのファルマン少尉が姿を見せたので、私はお風呂上りでほかほか状態のファルマン少尉を椅子に座らせてネチネチ言いながら髪を乾かす作業に入った。夕飯はこの際後回しだ。私の怒気のせいかファルマン少尉はさきほどから謝ってばかりいる。本当は怒っているというよりも心配の方が大きいのだけど、しゅんとしているファルマン少尉がなんだか無性にかわいくて、私は怒りモードごっこを続けるのだった。
「悪かったって。急いでたから忘れてたんだよ……」
「この間もそんなこと言ってませんでしたっけ?」
「うっ……この前は、ほら、急な呼び出しだったから」
「……かばんに折りたたみ傘入れておいた方が早いですね」
「それだと荷物になるじゃないか」
「じゃあもういっそ、傘は差さない主義を貫き通してください。風邪引いちゃだめですよ」
「そんな無茶な」
そうこうしているうちに髪の毛もすっかり乾いたので、私は「はいおしまい!」と彼の頭にタオルを被せて立ち上がる。キッチンに移動した私は中途半端に放り出していた夕食の支度に戻った。再度コンロの火を付けるとすぐに鍋の中がぐらぐらと煮立ってくる。時々火加減を見たり野菜を切ったり大急ぎで準備していると、しばらくして背後からギ、と床の軋む音がした。言わずもがな、ファルマン少尉だ。今日の夕飯チェックでもしに来たのだろう。ファルマン少尉はいつもニコニコしながら「うまい」と言ってくれるのだけど、それが本心なのかは気になるところだ。自分ではそこまで料理の腕が悪いとは思っていない……が、ファルマン少尉は優しくて気遣いのできる人だ。もしかしたら口に合わないのを我慢して食べてくれている可能性も無きにしも非ず、である。
「良い匂いがしてきた」
隣に並び立ったファルマン少尉が鍋を覗き込む。
「もうすぐできますから、待っててください」
「なにか手伝うよ」
「いいですよ、仕事で疲れてるでしょう」
「これくらい平気だって」
そんな押し問答をしているうちにいつの間にかしれっと手伝いを始めてしまうのだから油断ならない。以前、砦ではなにやらきつーい肉体労働をしていると聞いたが果たして今もそうなのだろうか?食事の準備中くらいはゆっくりしていてもらいたいという私のささやかな願いが聞き届けられた試しは残念ながら一度もなかった。結局今日もファルマン少尉は自主的にお皿の用意を始め、鍋の灰汁を取り、時々私の手元を眺めては「上手だなあ」などと無駄におだてて私を調子に乗せたりと忙しい。あんまり見られたら恥ずかしくて緊張してしまうのだけど。残念ながら褒められても味は変わらないが、じっくり観察されると緊張から塩と砂糖を間違う可能性ならあった。
私がもう怒っていないことがわかったのか、ファルマン少尉もすっかり普段の調子に戻っていた。出来上がった料理を一口食べて「やっぱりさんの料理はうまいなあ」などとのんきに微笑む。私のご機嫌を取っているのか1000%本心なのか?測りかねてありがとうございますと言ってから再びさきほどの話題を掘り返した。
「ところでファルマン少尉って傘嫌いでしたっけ?」
「……どうして」
「いえ、なんとなくそう思っただけです」
「別に嫌いじゃないよ。むしろ濡れる方が嫌だけどさ……」
「なら、途中で傘買えば良かったじゃないですか」
「まあ……それはそう、なんだけど。別にわざわざ買うほどでもないっていうか」
なんだかはっきりしないのはどうしてだろう。真意がわからず私は首を傾げた。
「あ、でも傘忘れる度に買ってたら増えすぎて大変ですね」
「そう!そうだろ」
「でもやっぱり毎回濡れて帰ってくるよりはマシです」
「……」
「それに、濡れたまま帰ってきてたら風邪引いちゃいますよ」
「うん……」
「いやうんじゃなくて。次からは気を付けてもらわないと」
「……濡れて帰ってきたらさんが俺の髪拭いてくれるだろ。あれ、実は結構好きなんだ。だから……雨の日も悪くないかなって」
いきなりなにを言い出すんだろう、この人は。予想の斜め上すぎる発言になんと返せばいいのかと頭をフル回転させるが良い台詞は一向に思いつかない。
「……ご、ごめん、よく考えたら迷惑だよな。やっぱり今のは無しで」
「……ファルマン少尉って、頭良いのに時々頭悪いですよね」
「ええ……!?」
「髪乾かすのくらい、別に毎日でもやりますよ。ファルマン少尉の髪短いからすぐ終わるし。だからちゃんと傘は忘れないで持って行ってください」
小指を突き出すと、ファルマン少尉は持っていたフォークを置いて同じく右の小指を絡めた。実は私もファルマン少尉の髪乾かすの好きなんです、とは言い出せなかったので代わりに繋がった小指を軽く振って笑った。
やわらかい死因::変身
ファルマン少尉にはさん付けで呼ばれ隊