※原作終了後の妄想
寒い寒いブリッグズ要塞の中でも、彼の姿が視界に入れば一瞬で気にならなくなってしまうのは一体どんなからくりだろう。食堂へ向かう途中の廊下、ポケットに手を入れて白い息を吐きながら歩く猫背気味のファルマン少尉を見つけた私はとっさに足を止める。持ち場が逆方向なので遭遇率は低い私たちだが、会えば世間話をする程度には親しい間柄だ。たしかきっかけはファルマン少尉が砦の中で道に迷っていたときだったはず。筋骨隆々な逞しい男たちの中で彼は小柄だった。背丈は高いのにブリッグズの兵士に囲まれると小柄に見える現象である。それがやけに新鮮で、なんとなく親近感が湧いたことを私は今でも覚えていた。会えば世間話をする……とはいってもばったり出くわす機会などそう多くはない。むしろこの昼時に出会うことすら初めてのことだった。俯きがちにとぼとぼ歩くファルマン少尉は私に気付く様子がない。――周囲に少尉以外の人影なし。それを確認した私は忍び足で背後から迫り「少尉どの~!」と声を掛けながらその広い背中を軽く押した。
「うわっ!!!?」
思っていた100倍驚いた様子のファルマン少尉が飛び跳ねたので、「だーれだ」の要領で軽いいたずらを仕掛けたはずだったのになんだか申し訳なくなってしまう。ばっとこちらを振り向いたファルマン少尉はそのまま数秒ほど硬直していたが、やがて犯人の正体がわかると大きく息を吐いて脱力した。
「……なんだ、准尉か……」
「な、なんかすみません……」
「いやこっちこそすまん。ちょっと考え事をしてたものだから」
「なにかお悩みでもあるんですか?背中に哀愁が漂ってましたけど」
「えっ!?そ、そうかな……俺ってそんなにわかりやすいのか……知らなかった」
「嘘です、少尉殿。冗談ですって」
「お、お前なあ……」
本当にこの人は見ていて飽きない。こらえきれず喉の奥で小さく笑うと呆れたようなため息が頭上から降ってきた。予想通りファルマン少尉も昼食のために移動していたとわかり、私たちは連れ立って食堂に足を向ける。彼がブリッグズへ異動してきてからもう随分長い。もともと北部出身と聞いているので寒さには慣れているのかと思いきや、ここブリッグズは比べ物にならないとか。東部出身で東方司令部からブリッグズに飛ばされた私にはピンとこないが、さすがアメストリス最北の地とでもいうべきだろうか。
「それで、悩みってなんなんですか?」
「……そ、それは……」
「あっ私口は固いので安心してください!アームストロング少将に詰め寄られたりしない限り大丈夫ですから!」
「本当に大丈夫なのか、それは」
アームストロング少将の迫力に屈しない自信など私には1ミリもない。強い者に従う、それがブリッグズ魂!……とはいえ、同じ女性としてあの強さは憧れでもあったりするわけで、まずは形から入るタイプである私は密かに閣下の真似をして髪を伸ばしているのは内緒だ。
「でもほら、他人に話しちゃえば意外とすんなり解決したりってこともありますし」
「……そうだなあ」
といったきり、ファルマン少尉はまた肩を落としてしまった。そんなに深刻な悩みなのだろうか……。普段は首が痛くなるほど上を向かないとわからない彼の顔が、俯いていることで容易に見て取れる。もはや隣を歩く私などアウトオブ眼中状態の少尉は天を仰いだりまた下を向いたり頭を抱えたりと忙しい。その背中を先ほどより強めにばちこーんと叩くと、ファルマン少尉が「うっ!」と声を上げた。分厚いコートの上からでは衝撃が吸収されてしまうのか、少尉は驚きはしたものの微動だにしない。
「くよくよしてても始まらないですよ!そうだ、今度ステーキでも奢りましょうか。肉食べて元気出しましょう、ファルマン少尉!」
「お前が食べたいだけじゃないのか?」
「まあそうとも言いますけど……でもほら、私は大好きなお肉が食べられてファルマン少尉も美味しいもの食べられてwin-winじゃないですか」
「……はは……准尉はなんていうか、ほんとに………………」
「ほんとに?」
「い、いや!なんでもない、気にしないでくれ」
「どーせ能天気な奴だとでも言いたいんでしょう!」
「違うって!」
「じゃあ単細胞ですか、そうなんですねわかります」
「どうしてこういう時は卑屈なんだよ……」
苦笑されてしまったが、落ち込んでいる顔よりはいくらかマシだ。果たして自虐ネタで苦笑させることになんの意味があるのか、正直あまりわからないけれど。
食堂には今の時間人が集まっていることもあって、廊下より格段に暖かい。手袋を突き破ってくる冷気でかじかむ指先も、常に冷たい空気を取り込み続けている鼻も、嘘みたいに体温を取り戻していた。食堂の奥に空席を見つけた私とファルマン少尉は向かい合って座る。今日の昼食はパンにビーフシチューにサラダに……ああ、さっきお肉の話をしてしまったからステーキが食べたくて仕方がない。ビーフシチューの中の小さな肉では物足りない私は食べながら肉の塊に思いを馳せる。ふとファルマン少尉の方に目を遣ると、すでに半分以上食べ終わっていたので我に返り焦って食べるスピードを上げた。ただでさえ食べるのが遅いのに、この分では少尉が持ち場に戻っても食べ続けていることになりそうだ。
「早食いは消化に悪いぞ。もっとゆっくり食えって」
急にがつがつと食べ始めた私に気付いたのか、ファルマン少尉が窘めるように言った。
「すみません……私食べるのが遅いので」
「俺のことは気にしなくていいよ、昼休みは長いんだし」
「ファルマン少尉こそ、食べ終わったら私に気を遣わないで先に戻っちゃっていいですからね」
「いや、食堂の方が暖かいし、ギリギリまでここに居るよ」
「……それもそう、ですね」
普段は休憩時間のほとんど被らないファルマン少尉と昼休みいっぱい一緒に居られると思うとなんだか不思議な気持ちだ。少なくとも嫌われてはいないらしいとわかり、私は胸の辺りがむず痒くなる。その言葉通り昼休憩が終わるまで食堂でぬくぬくと過ごした私とファルマン少尉は始業の鐘の鳴る5分前に重い腰を上げた。
「仕事は嫌いじゃないんだけど、寒さが体に堪えるなあ」
「なにをおじさんくさいこと言ってるんですか」
「おじっ……いや俺はまだまだ若い方だ」
「その発言がすでにおじさんです」
まあファルマン少尉がおじさんにカテゴライズされるとしたら、自分もすでにおばさんの領域になってしまうのであまり他人事ではないのだけど。食堂から一歩一歩遠ざかるにつれて、空気も段々冷えたものに変わっていく。「さむーい」などと言いながら肩を竦めたらファルマン少尉もそうだな、と笑った。もうあと数十メートルで分かれ道だ。名残惜しくて、なにか話さなきゃと気持ちが逸る。仕事中に変な虫が出たとか、同僚のシャルロッテが結婚したとか、この前のチーム対抗雪合戦で優勝したとか、雑談にもってこいの話がいくつも脳内に浮かんでくるにも関わらず、私の口は動いてくれない。そうこうしているうちに廊下の角に差し掛かった。ここで私は右に、ファルマン少尉は直進して持ち場に戻る。まあ、今生の別れというわけでもないのだし、昼食を一緒にする機会もまた巡ってくるだろう。平静を装って「じゃあ私こっちなんで?」と口を開きかけたところで、ファルマン少尉が私を呼び止めた。
「准尉」
「はいなんですか、ファルマン少尉殿」
「ちゃんと予定空けておけよ」
「……なんの?」
「ステーキ、うまい店に連れて行ってくれるんだろ?」
「……は、はい。とっておきのお店紹介しますから。ばっちり期待していいですよ!」
「じゃあな」と右手を上げて去っていった少尉を見送り、私も持ち場へと戻るべく歩き出す。が、その足取りは自分でもわかるほど浮ついている。「ファルマン少尉を元気付けるため」などと大義名分を説いておきながら、結局元気になったのは私の方だったみたいだ。その証拠にふわふわと夢心地のまま午後の仕事を始めた私は「ニヤケ顔が気持ち悪い」というあんまりな暴言を同僚たちから食らう羽目になったのだった。
散らばるあの小惑星に酔う::ハイネケンの顛末
めちゃくちゃどうでもいい制作秘話なんですけど、ファルマン准尉はずっとファルマン准尉って呼んでたので何回か「少尉」を「准尉」と書き間違えました。