私の父は錬金術師だった。朝から晩まで研究研究研究研究研究研究研究……────そんな父のことを、私は好きとも嫌いとも言えない。何故なら家族よりも研究を優先する人だったから、好き嫌い以前に私は彼のことなどなにも知らなかったのである。なんなら顔さえほとんど記憶にない。家族と食卓を共にすることもほとんどなく、研究の合間にパンやフルーツを少し口にするだけ。時には睡眠時間すらも犠牲にして、父はなにかに取り憑かれたように毎日研究だけに没頭していた。そしてやがて肺を病んで死んでしまった。
父は最期まで「錬金術師よ大衆のためにあれ」が口癖だった。……ばかばかしい。妻と子供の2人ですら幸せにできない男が、大衆のために一体なにを成せるというのだろう。私は錬金術が嫌いだ。父を奪った死神の大鎌。錬金術なんかに手を出さなければ、父は今も健在で、母と2人笑って暮らしていたかもしれない。私と母は父が死んで心底ほっとしていた。ようやくあの人は錬金術の呪縛から解放されるのだと。家に残された膨大な研究書や資料は焼いて処分するはずだった。……でも、ここで父の研究が途絶えたらそれこそ父はなにも成し遂げられず、何者にもなれないのではないか?ある日私は突然そう思って研究を引き継ぐことに決めた。母は止めたけれど、私は聞かなかった。研究して、研究して、研究して……そうすれば父の考えていたことが理解できるようになるだろうか。淡い期待を持って毎日錬金術の本を読んでも、父の研究書解読を進めても、錬金術に魅力を感じることは一切なかった。ただ父の亡霊を捕まるために必死だっただけ。そしていつしか私も錬金術に取り憑かれてしまった。錬金術は死神だ。私もきっと父と同じようにいつか錬金術に殺される。わかっていても不思議と研究を放り投げる気にはなれなかった。父はなにも成し遂げられなかった人なんかじゃない。それを証明できるのは今や私だけだ。つまり私は私自身のちっぽけなプライドだけで大嫌いな錬金術に意地汚く齧りついているのである。
「……で、そのうち軍の人から国家錬金術師にスカウトされて現在に至るってわけです」
「そんな事情があったんですね……私がお聞きしてもよかったんでしょうか」
「別に構いませんよ。ここの人たちはほとんど知ってますし」
というのも、着任時の挨拶で「国家錬金術師だけどぶっちゃけ錬金術嫌いなんですよね」と文字通りぶっちゃけて部下を青ざめさせたことがあったからだ。ファルマン少尉は反応に困っているのか沈黙を貫いている。……いくら錬金術を始めたきっかけを尋ねられたからとはいえ、ちょっとした雑談には向かない話題だったか。今日も元気に私の研究に協力してくれているファルマン少尉の肩を揉みながらつらつらと語ったあとでそんな罪悪感に苛まれる。
「凝ってますねえ、ファルマン少尉」
「え……そうですか?自分ではあまりわかりませんが」
「ガッチガチですよ。もしかしてまだ緊張されてます?」
「そんなことは……少佐も、シュナイダー中尉も良い方ですから」
「じゃあ普通にお疲れなんですかねぇ。どうですか、以前の司令部と比べて」
「まあ、大変……ですね。中央ではデスクワークが主でしたがこちらでは肉体労働が求められているので、そういった環境の違いもありますし」
「そうでしたか。じゃあ慣れるまではしんどいかもしれませんね」
転属早々実験に付き合わせておいて私を良い人だなんて、ファルマン少尉こそ良い人だと声を大にして言いたいくらいだが、まあ悪い印象は持たれていないようで少しほっとした。同じデスクワーク派としてこちらは勝手に親近感を持っている。まあ私はデスクワークっていうかちょっと違う気もしないでもないけど、細かいことは気にしないでおこう。四六時中机に向かっているという点でいえば大枠では同じことだし。ひとしきり雑談したあとで私は休憩おしまい!と少尉の両肩をぽんと叩いて立ち上がる。少尉も「どうもありがとうございます」と肩をぐるぐる回しながら立ち上がった。改めて見ると少尉は背が高い。私は彼を見上げて思わず嘆息する。バッカニア大尉とか見慣れていたので遠近感狂っていたがファルマン少尉も十分でかい。威圧感こそないが、ブリッグズではチーム低身長に属する私と彼では並ぶと身長差がえぐかった。羨望の眼差しを向けていたら私の視線の意味を知らない少尉が不思議そうに首を傾げたので「なんでもないです」と誤魔化す。
実験は休憩前の続きから。本来水中や水上で起こる渦潮という自然現象を、陸上で、人工的に起こすことはできるのか、だ。実験その1は空気中の微量の水素を使用して行ったが失敗。敗因はやはり水素の量が不足していたことだろうか。
「少佐がブリッグズへ赴任されたのは、水に関する錬金術を研究されているからですか?」
「そういうことだと思います。ここには水も雪も氷も腐るほどありますから、それを活用するという発想に至るのは当然かもしれません」
ただし実用にはほど遠かった。毎日自由に研究をさせてもらっているくせに申し訳ないので、私としては一日でも早く少将に良い報告をしたいものである。そうしたらあの氷の女王様も微笑くらいは見せてくれるだろうか。
「そういえば、少佐の二つ名は……」
「言ってませんでしたっけ。火星、です」
「火星?どうして水の研究をしている少佐の二つ名が火星なのですか?」
「さあ……大総統の決められた銘ですので」
「そうですか……すみません、変なことを聞いてしまって」
元ネタで思い当たることといえば占星術くらいなのだが。不確定な推測でわざわざ固定観念を持たせてしまうのもよくないと思って黙っておくことにした。それではそろそろ実験を……と思っていたらちょうどいいタイミングで研究室の扉がノックされる。入ってきたのはシュナイダー中尉だ。
「少佐、少しよろしいですか」
「今実験中なので後ではだめですか?」
「実は、私の用件も実験絡みなんですが」
「聞きましょう」
実験と聞いてしまってはスルーするわけにはいかない。華麗に手のひらを返せば中尉は短く息を吐いてから私へ説明を始めた。
「実は少佐の欲しがっていたサイズの氷柱ができていると、現場から報告がありまして。ご覧になりますか」
「もちろんです!……あ、すみませんファルマン少尉。実験の続きはまた後日ということで!」
私は「ありがとうございました!」と言いながらスキップしそうな勢いで実験室を出る。これであの研究が進むかもしれないと思うとワクワクが止まらなくて本当にスキップしてしまったら後ろから「子供じゃないんだから……」という中尉の嘆きが聞こえた。
バスタブいっぱいの欲望を::ハイネケンの顛末