「ファルマン准尉」

 寮の扉がノックされ、俺は読んでいた本から顔を上げた。外には寮の管理人が立っていてこちらが用件を聞く前に「マスタング大佐から電話だよ」と告げられる。……つい先日にもまったく同じことがあったような。デジャヴか?俺はまたさん絡みだろうと予測して電話に出る。

「……はい、ファルマン准尉です」
「私だ。今から出て来られるか?」
「それは構いませんが」
「……がいなくなった」

 今度は最初から用件を伝えてくれたことに喜んでいいのか、よくわからない内容だ。さんがいなくなった?しかし大佐は昨日も彼女と電話していたはず。向こうも若いとはいえ良い大人なのだから、一日音信不通な日があったくらいで失踪だ行方不明だなどと大騒ぎするほどではないと思うのだが。余裕なさそうに息を詰まらせる大佐とは対照的に俺の方はあまりその緊急性がわかっていないために温度差が激しい。しかし、こんなに狼狽える大佐は珍しく、そういった意味では緊急事態と言えるかもしれない。俺がはっきりと返事をしないうちに大佐は「のアパートまで来てくれ」とだけ告げて一方的に通話を終わらせてしまった。きっと大佐の早とちりだろう。らしくはない、が、彼女への尋常ではない過保護さを考えれば仕方ないように思える。
 思わず零れたため息を飲み込んで、俺は仕方なしに寮を出た。さんのことはそれほど心配していない。ただ、大佐があんな状態なのは気がかりだ。早いところ二人でさんの無事を確認するとしよう。そんな軽い気持ちで彼女のアパートまで来ると例によって大佐がアパートの玄関先を行ったり来たりしていた。

さんがいなくなったって、どういうことです」
「……言った通りだ。が……行方不明になった」
「行方不明って……どこか出かけているだけでは?」

 俺の台詞が聞こえていないかのように、大佐は無反応のままアパートに入っていく。この階段を上るのももう慣れてきた。階段の軋む音も最早気にすることなく、俺は少し早足で駆け上がるように進む大佐の背中を追いかける。この3階の突き当りの部屋にも数回足を運んだ。大佐が当然のように堂々とドアを開け、明かりをつける。大佐の言う通り、さんは不在らしい。俺も続いて入ったが室内の様子にこれといって気になる箇所はない。荒らされた形跡もなければ、忽然と姿を消した、というような不自然さもない。やはり少しでかけているだけじゃないのか?と、つられて緊張していた体の強張りを解いた俺を他所に大佐はそのままデスクの方へ迷いなく進むと一冊のノートを手に取って広げて見せた。

「……これは……」
「東部の犯罪者リストだ」

 たしかにそうだ。大佐の示した見開きのページには新聞や軍の資料で目にしたことのある6名の男の情報が詳細に記録されていた。名前、犯罪歴、服役期間、仮出所の日付、出所後の住所、家族構成…………メディアの情報だけでは知り得ないようなことまでよく調べられている。どうしてこんなことを、と呟こうとしてはたと気付く。

「まさか、さんは……」
「ああ、彼女は復讐しようとしている。自分の家族を殺したやつに……。密かに探っていることは私も気付いていた。……しかし本当に行動に移すとは……」

 犯罪被害者が加害者への公的裁きを待たず、若しくは裁判の判決に納得いかず自ら復讐を考えるというのは珍しいことではない。だが大佐の言うように実際行動に移す者はごく僅かだ。それは当事者と雖も犯人の個人情報は公表されないこと、もし知ることができたとしても自身の手を汚すことになるという良心の呵責に耐えられず断念する等といった理由が挙げられる。そして大佐の場合にはさんがそんなことをするはずがないという希望的観測もあったのかもしれない。とにかく、まだ予想の域を出ないとはいえ、さんがこのノートを残して姿を消したのは事実だ。俺と大佐は手分けしてノートの住所を当たることになった。大佐は左半分、俺は右半分の3件だ。

「ファルマン、を止めてくれ……頼む」
「大佐……わざわざ頼まれなくても、私はもちろんそのつもりですよ」

 さて、さんはどちら側に居るのか。そもそもこのページ自体がはずれということも十分あり得るわけだが、今は手あたり次第にでも動くしかない。というより、俺も大佐も居ても立っても居られなかったのである。
 さんのアパートから比較的近い1件ははずれ。続いて2件目を回るがこちらも彼女が来訪した様子はなかった。最後は郊外の一軒家だった。広い庭に囲まれてはいるが、手入れが行き届いているとは言い難い。門の外から様子を伺ってみると、2階の窓には明かりが灯っている。薄いカーテンの奥から漏れているその明かりは中の人間が動いたことで2、3度揺らめいた。ここが当たり、か?今のところ争っている様子はないみたいだが……。俺はごくりと喉を鳴らして上着に忍ばせていた拳銃をそっと取り出す。
 家主はフリジェシュ・ライネ。44歳の男性で犯罪歴は横領、窃盗、不法侵入、盗品売買……と多岐にわたる。ノートの犯罪歴の中に殺人の文字は含まれていなかった。俺は彼女のノートを思い返しつつ慎重に建物へと近づき中の音に耳をそばだてるが、物音も話し声も聞こえない。建物は無音。1階の部屋はどこも暗闇だ。すべての部屋のカーテンは閉じられていて室内の状況も一切わからなかった。やはり2階か……。俺はさきほど門の外から確認した明かりの付いた部屋の真下へ移動する。壁に張り付いたままそっと見上げると、カーテン越しに誰かが立っているのがわかった。背格好からしてさんではなさそうだ。だが彼女がここの家主と対峙している可能性は捨てきれない。俺は音を立てないよう注意しながら侵入口を探して、運よく見つけた鍵の壊れていた窓からそっと室内に滑り込んだ。思った通り1階は無人。警戒はそのままにゆっくりと階段を上っていくと、上がってすぐ横の部屋から明かりが細く漏れていた。ぼそぼそと、小さな話し声がする。俺は忍び足で近寄ってドアの影から中を覗き込んだ。入口向かって右の窓際には中肉中背の男が立っている。当然だが知らない男だった。彼の視線の先にもう一人居るのだろう、そちらへにやにやとした不愉快な顔を向けている。

「それで、どうやって俺を殺すつもりかな?のお嬢さん」

 嘲笑交じりの男の声。

「家族と同じように……と、言いたいところですが、それは私には少し難しいようです」

 ……さんだ。聞き間違うはずがない。今この瞬間、彼女の行方がわからなくなったのは大佐の勘違いで、ただ買い物やなにかで少し出ているだけであってほしいという俺の希望は完全に打ち砕かれた。相当な覚悟と決意でこの場に臨んでいるのだろう、さんの声は固さがありつつも堂々としている。でも、止めなければ。大佐と約束したのだ。それ以上に、自分自身がそれを願っている。俺は手中の拳銃をぐっと握りしめてからわざと大きな音を立ててドアを開いた。瞬時に二人の位置を確認し、迷わずさんへと拳銃を向ける。

「二人とも、動かないでください」

 突然の乱入者に驚いているのは男だけだった。さんはかつて見たことのないほど冷たく、感情のない双眸で俺を見据えている。それだけで決意が揺らぐ。胸がいっぱいになってしまう。復讐を邪魔した俺を、彼女は恨むかもしれない。もう二度とあの柔らかな笑顔を見せてはもらえいないかもしれない。それでも──

「この人は私の家族を殺した男です」
さん、」
「憲兵さんは証拠不十分で彼を捕まえられなかったようです。だから私が、私自身の手でこの男の人生を終わらせます。私はそのために錬金術師になったし、そのために生きてきました。……ファルマン准尉は、私を止めますか?」
「……お願いです、復讐なんてやめてください……そんなことをしたって……!」
「家族のためなんかじゃありません。これは自分の自己満足のための復讐です。死んだ人間は戻ってこないし……私はずっと一人です。でも、前に進めるようにはなるかもしれないから」
さん!……それなら、生きている人のことを思い出してください。貴女のことを思っている人たちのことを……」
「私のことを」
「大佐はさんをとても心配しているし、こうなったことで自分自身を責めています。私だって…………」

 言葉が続かなくて歯を噛みしめる。この感情をどう伝えたらいいのか、今の俺にはわからない。彼女を失いたくなくて、笑っていてほしくて……でもそれは俺のエゴかもしれない。そう思うと、ストレートにぶつけていいのか途端にわからなくなってしまった。俺は頭の中を整理しようと一度深呼吸してみる。その間声を発する者はなく、静寂に包まれていた。と、突然男がは、は、は、と声を上げて笑い始めた。

「な、んだ……威勢よく殴り込みにきたと思えば、結局なにもできないままか。は、は、俺に復讐しに来たんだろう?なあ、もっと楽しませてくれよ。あんたの家族を殺した時みたいに」

 さんが再び男の方を向いたがそれより早く俺は拳銃の引き金を引いた。発砲音とともに男の顔の真横の壁に風穴が開く。直前まで余裕の笑みを見せていたはずの男はその一発で腰を抜かしたように座り込んでしまった。

一家殺害の容疑者として、貴方を連行します」

 そう宣言して、近くにあったロープで男を拘束する。どうしてこんなところに丁度良くロープが……?と一瞬首を傾げたが、もしかしたらなにかの犯罪に使う予定だったのかもしれない。解けないようにと男をぎちぎちに縛り上げていたところに、1階から人の気配がし始めて俺はぎくりと動きを止める。さんのことで必死だったから、仲間が居る可能性をきれいさっぱり失念していた。なんという失態。放心状態のさんを後ろにかばいながら再び拳銃を構えたが、上がってきたのは大佐だった。……中尉まで一緒だ。

「ファルマン!はどうした!?」
「……無事ですよ」

 彼女の姿を見せるために俺が横にずれると大佐はすぐに駆け寄ってその体を強く抱きしめた。さんの反応は未だに薄い。大佐が心配していたことが、彼女に伝わっているだろうか。
 俺たちの無事を確認した中尉が「あの男は?」と拘束状態の男を指したのでかいつまんで説明する。一家殺害……の疑いのある男。当時の憲兵が「証拠不十分」の決断を下した通り、まだ疑いにすぎないのである。しかし俺はこの耳ではっきりと聞いた。あんたの家族を殺した時みたいに──つまり、さんの仇。これで一件落着……なのだろうか。大佐の腕の中で表情を失くしているさんを見つめて、俺は漠然とした不安に駆られた。





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