今日も今日とて、俺は大佐を探して司令部内を練り歩く。書類が溜まっている。もう限界だ、と書類に埋め尽くされたデスクが訴えている。俺も限界だ。今日こそはと思っていたのにその大佐が見つからない。「もう2時間も戻らないのよ」と言いながら拳銃の手入れをし始めたホークアイ中尉からは無言の圧力さえ感じる。大佐、早く戻らないと大変なことになり……いや、もう手遅れか。かと言って職務放棄するわけにもいかない。俺は大佐のいそうな場所を虱潰しに回る。果たして彼の姿は食堂にあった。それも一人ではなく……さんも一緒にだ。
「ファルマン准尉!こんにちは」
「こんにちは、さん」
「ファルマンか。どうした」
「……どうした、じゃないです。サインを頂きたい書類が山ほどあるんですよ」
「心配するな。少し休憩していただけだ」
「中尉の背中から怒気が漂ってましたよ」
「…………その情報は聞きたくなかったな」
「なんでもいいですから早く戻ってください」
「わかったわかった!、残念だが私は仕事に戻るよ。そうだ、退屈しないよう、ファルマンを話し相手にするといい」
「は!?」
ぽん、と俺の肩を叩いたマスタング大佐がとんでもないことを言い出したので思わず素っ頓狂な声を上げる。
「これも立派な仕事だ、ファルマン准尉」
いや絶対違うだろ。
「そんな目で見るな。仕事はちゃんと片付けるさ」
「……今の今までちゃんと片付けてくれなかった人間の台詞とはとても思えませんが」
「さくっと終わらせて戻ってくるから待っていろ」
無理やり座らされた俺は仕方なく正面のさんと顔を見合わせる。会うのは2週間ぶりだ。当然だがあの時と大きく変わった様子はない。
「お久しぶりです……」
「はい、お久しぶりです、ファルマン准尉」
「今日もマスタング大佐にご用事だったんですか?」
「いえ、今日はちょっと事務手続きがあって来たのですが、途中で大佐にお会いしたものですからつい話し込んでしまって……二人ともお忙しいのに引き留めてしまって申し訳ありません」
「さんのせいではありませんよ。大佐のあれはいつものことですから」
ふと彼女の手元を見るとカフェオレのカップがあった。まだ半分以上残っている様子から、それほど長い時間ここに居るわけではなさそうだ。というか、この食堂にカフェオレなんておしゃれメニューがあったことを俺は初めて知った。果たしてこれは美味いのだろうか。司令部のコーヒーは不味いことで有名だ。カフェオレもコーヒーの一種であるということを考えれば同様と思うのは当然の心理だろう。それ、美味しいですか?と聞いてみようかと好奇心が湧いてきたが結局断念した。
「あ、そうだ。ファルマン准尉は甘い物お好きですか?」
「甘いもの……ですか。そうですね、嫌いではないですが」
「じゃあ、良かったらこれ、もらってください」
さんは鞄の中から小さな箱を取り出した。上品なこげ茶の箱にはワイン色に金の細いラインが入ったリボンがかけられている。なんだろう?と思いつつ受け取ると「チョコレートなんですけど」とさんが言い足した。
「これを私が頂いてもよろしいのですか?」
「はい!……実は、行きつけのチョコレート屋さんが限定品で出していたものですからつい買いすぎてしまって。大佐にもおすそ分けしようと思ってたんですけど、うっかり忘れてしまいました」
「そうでしたか……ありがとうございます。頂きます」
大佐にも、という一言で少し残念に思ったのは内緒だ。大佐とは一体どんな関係なのだろう。最初はただ大佐が国家錬金術師の勧誘にでも行ったのかと思っていたが、この様子だとちょっと違う気がする。
「大佐とは随分親しいようですね」
「……マスタング大佐には、大変お世話になりましたので」
思い切って聞いてみたが、彼女があんまり寂しそうに笑うので余計に謎は深まってしまった。まさか、元恋人とか……いや、大佐はあれで特定の女性とは付き合わないタイプだ。さんが片思いをしている……といった方があり得そうだが。って俺は一体なにを考えているんだろう。思わず下衆な勘ぐりをしてしまった自分が恥ずかしい。気付けばさんは穏やかな表情に戻りカフェオレに口を付けていた。
「さんは、どのような錬金術を研究されているんですか?」
「ええと……そうですね……ざっくり言うと、光の操作、でしょうか」
「光の?」
「はい。ファルマン准尉は光って、なにでできてると思いますか?」
「外の光は太陽ですよね。室内の光は電球……フィラメントの発光によるもの、でしょうか」
さんは静かに俺の答えを聞いていた。その視線は手元のカップへと注がれていて表情は伺えない。なにか、間違っていただろうか?と俺は脳内の辞書を再度開こうとする。
「私の研究しているのはもっと物質的な、光そのものなんです」
光源ではなく、光そのものを物質として扱った錬金術?……よくわからない。知識を蓄積することはできても、それ自体は錬金術の才能に直結しないのである。そこで彼女の二つ名が頭を過った。光の研究をする、晦冥の錬金術師?俺にはまるで矛盾しているように思える。
「……すみません、こんな話つまらないですよね」
「いえこちらこそ、よくわかりもしないのに聞いてしまって申し訳ない」
「ファルマン准尉はとても物知りな方だって、大佐が仰っていました」
「そうですね……それなりに知識は豊富な方だと自負しています」
「じゃあ、なにかわからないことがあったら教えてもらおうかなあ」
さんが冗談めかしてふわりと笑った。彼女の笑顔はなんというか……α波でも出ているんじゃないかと思うほど優しく感じる。これでは少尉のことを言えないな。彼女の目に映る自分が彼のようにデレデレとだらしない顔をしていないことを祈ろう。
大佐が戻るより早く、さんは「用事があるから」と言って司令部を後にした。あの量を1時間やそこらでさくっと終わらせるなど、土台無理な話だったのである。帰り際に、さきほど大佐にチョコレートを渡しそびれたと言っていたことを思い出しよかれと思って代打を申し出たが全力で拒否されてしまった。まあ、自分で渡したいというのは当然か、と言われてから納得する。俺は彼女を出口まで送ってから進捗を伺うため大佐のもとへ足を向けた。
「大佐、書類は……」
つい気持ちが逸り、ドアを開けながら話しかけると大佐は書類の山に埋もれるようにしながらデスクに座っていた。ああよかった。一応進んではいるみたいだ。ほっとしながら自分の提出書類がどうなったか確認するため彼に近づく。大佐に影が差すほど近寄ったところでようやく彼は顔を上げた。随分集中していたみたいだ。
「……はどうした?」
「もうお帰りになりましたよ」
「間に合わなかったか……」
「当たり前ですよ。一体何日分溜めてたと思ってるんです」
「なにを話した?」
「……さんですか。大佐の期待するような話はなにも……錬金術の話とか、大佐にはお世話になってるとか」
「──そうか」
どこか満足そうに呟くと大佐は再び書類と向き合った。俺は紙の山を漁って自分の書類を探す。……あった。大佐のサインは──もう少しかかりそうだ。
さめた部屋にモノクロの熱::ハイネケンの顛末