「す、すみません……」
司令部の冷えた廊下。頭の中で今日の予定を確認していた俺の耳に飛び込んできたのはひどく遠慮がちな声だった。振り返ると、一人の女性がこちらを見上げていた。この東方司令部に軍服以外を着た人間が居ると非常に目立つ。たとえば、エルリック兄弟……とか。彼らを思い浮かべたと同時に彼女が何者であるかも大凡の見当が付いた。
「なんでしょうか」
「マスタング大佐のところへ行きたいのですが……」
「ああ、それならご案内しますよ」
「良いんですか?」
ちょうど自分も彼のもとへ向かっていたところだ。俺が頷いて「こちらです」と先導すると、心底嬉しそうに笑って隣に並んだ。軍ではあまり見ないタイプの女性だ。ふわふわとした、お菓子のよう。それが第一印象だった。
「私はマスタング大佐の部下で、ヴァトー・ファルマン准尉です」
「・です」
「大佐にはどのようなご用件で?」
「先日、国家錬金術師の試験を受けまして、今日はその結果を受け取りに参りました」
「そうでしたか」
やはり、予想通りだった。見たところエドワードくんほどではないが、随分若い。大佐もよくこんな若い女性を見つけ出して来られるものだ。エドワードくんに関してはたしか書類不備による偶然の産物だったと聞いたが、彼女の場合は果たしてどうだろうか。などと余計なことを考えているうちに目的地に到着してしまった。
「大佐、・さんをお連れしました……よ……」
マスタング大佐の居るであろう部屋に入り言いながら彼の席を見るとそこは見事に無人。部屋に居たのは大佐ではなくハボック少尉だった。
「大佐ならお偉いさんに呼び出されて出て行ったぞ、1時間前に。俺は留守番という名の雑用」
「それはタイミングが悪かったですね。いつ頃戻りますか」
「さあなあ。なんか緊急の用事とか言ってたからしばらくかかるかもな」
「……だ、そうですが。お待ちになりますか」
「え……そ、そうですね……ご迷惑でなければ」
「もちろん構いませんよ。そちらにおかけください」
「……誰だ?その子」
さんは向けられた視線に少しおどおどしながらぺこりと頭を下げる。来訪者が若い女性と分かった途端ハボック少尉は急に笑顔で「ようこそようこそ!」などと言いつつふかふかのソファを勧めた。また彼の悪い癖が出てしまったようだ。俺は顔には出さないようにしながら心の中で苦笑する。
「いやあ、こんなむさくるしいところでも女の子が居るだけでこう、ぱっと華やかになるよなあ」
「女性ならホークアイ中尉が居るじゃないですか」
「わかってねえなお前……」
だめだこいつ的な呆れた視線でため息を吐かれてしまったが、正直わかりたくはない。
「で、ちゃんは大佐になんの用事だって?」
「……国家錬金術師試験の結果をもらいに来たそうですよ」
「お前には聞いてな……って、こ……国家錬金術師!?」
ハボック少尉は驚きのあまりさんを見たまま固まってしまった。たしかに、少し意外なのは同意する。錬金術師とは、つまり科学者だ。彼女の雰囲気からは想像できない。というのは失礼だろうか。第一印象など当てにならないものだ。ともかくさんは錬金術師らしい。そして国家錬金術師になるということは……
「あ、でも、まだ結果は知らないのでもしかしたら落ちてるかも……」
「大丈夫だ……ですよ!ちゃ……さんなら合格間違いなし……です!」
動揺したハボック少尉は敬語を使った方が良いのかと混乱しているらしく口調がおかしい。というか初対面の相手に無責任なお墨付きは如何なものかと。つっこむべきか否か迷ったが、しどろもどろなハボック少尉が正直ちょっとおもしろかったので見守ることにした。エドワードくんだって同じ立場なのだから、同じようにすればいいのに……と思いながら。
「あ、あの……そんなにかしこまらなくても……」
ぎこちない空気の中でぎこちない会話が繰り広げられていたが、しばらくしてさんが苦笑しながら申し出た。そりゃそうだ。さすがにハボック少尉の態度は不自然すぎる。ハボック少尉は「いや、でもなあ……」とか言いつつまんざらでもなさそうだった。と、ドアがガチャと音を立てて俺たち3人は揃ってそちらを向く。入ってきたのは――マスタング大佐だ。大佐はひとかたまりになった俺たちを見てぱちぱちと瞬きしてからにっこり微笑んだ。もちろんさんに、だ。
「おや、もう来ていたのかい」
「こんにちは、マスタング大佐」
「マスタング大佐だなんて、随分よそよそしいじゃないか。君にはロイと呼んでもらいたいな、」
「あはは、相変わらずですね」
すでに慣れているのか、さんは大佐を難なく躱してしまう。……この様子だと自分の助けは必要ないらしい。ほっとしたような、どこか残念なような。大佐は大げさに肩を竦めながら自身のデスクへ向かっていく。こちらもこちらで慣れっこである。席に着くと一通の封筒と木箱を取り出した。その顔は既にアメストリス国軍の大佐へと戻っている。
「おめでとう。君は今日から国家錬金術師になる」
「……本当ですか!」
「ああ。二つ名は……晦冥か」
「か、カイメイぃ?……ってどういう意味だ?ファルマン」
「晦冥。光明がとだえて、くらがりとなること。くらがり。くらやみ」
「……なんでまたそんな、鬱々とした二つ名を……」
「いや、私に言われましても」
銘を決めるのは大総統なのだから俺に理由を問われても答えられるわけがない。……が、たしかに気になる。俺がヒントを求めてさんに視線を移すとつられてハボック少尉も彼女に注目した。
「……えっ」
注目されることには慣れていないのか、みるみるうちにさんの顔が赤くなっていく。こういう反応も普段あまり目にする機会がないので、なんだか微笑ましい。
「あまり女性をじろじろと見るんじゃない」
「……し、失礼しました」
大佐に指摘され、俺は慌てて顔を背けた。結局由来を聞くことができないまま、さんは銀時計と拝命証の入った封筒を受け取ってソファから立ち上がる。
「外まで送ろう、」
「いえ、一人で平気です」
「つれないことを言わないでくれ。せっかく久しぶりに会えたんだから少し話相手をしてほしいな」
「はあ……」
「と、いうわけだから中尉が戻ったらよろしく言っておいてくれ」
「……」
ああ、またしばらく戻らないつもりか。俺はこの部屋に来た当初の目的である大佐のサイン待ちの書類を手にしたまま立ち尽くした。早くも大佐はさんの肩に手を回して部屋を出て行ってしまう。残された俺とハボック少尉は身動きもせずしばらくドアを見つめていたが、足音が遠くなるとほぼ同時に肩を落とした。ハボック少尉はおそらくさんが去ってしまったことに対して。俺は大佐のサインを待つ書類を思って。思わずはあ、と息を吐く。と同時に再びドアが開いて、帰ったはずのさんが再び現れた。
「ファルマン准尉」
「あ、はい。私になにか」
「ちゃんとお礼言ってなかったので……あの、ありがとうございました」
「……いえ、これくらい、なんてことありません」
綺麗に45度のおじぎをして、今度こそさんがいなくなる。いつの間にか隣にはデレデレと手を振るハボック少尉が並んでいた。まったくこの人は……と呆れつつ今回だけは少しだけ彼の気持ちがわかってしまうのがなんだか癪だ。マシュマロのように、綿菓子のようにふわふわとした女性は一時だけ俺たちを笑顔にさせた。晦冥の錬金術師。その二つ名がどうにも彼女とは結び付かなくて、俺は僅かな違和感に首を傾げる。
面影を求めたところで意味がない::行き場のない言葉