「少佐!」

 どこかから声が聞こえる。私は目の前の一点に集中させていた意識を解放する。その瞬間ぱちん、と火花を立ててかたちが崩れた。実験は失敗である。さて犯人は誰だ。

少佐!」
「……シュナイダー中尉、貴方のせいで、貴重な実験が失敗してしまいました……」
「え……わーーっ!すみません!わざとでは……!ほ、ほら、新しい少尉が来ましたよ」
「…………あたらしい、しょうい……?」
「先日マイルズ少佐が仰っていたじゃないですか!覚えてないんですか?」
「……最後にマイルズ少佐に会ったのいつでしたっけ?1か月前にちょっとお話した記憶が」
「1週間前ですよ!!……また実験でもしながら適当に聞いていたんでしょう」
「失礼ですねー!ちゃんと聞いてましたよ!ただ耳から耳へと流れて行っただけで」
「それを世間では聞いてないっていうんです」

 部下のド正論も必殺右から左へ受け流しでスルーして、私は実験の残骸を片付ける。あーあ、今日はいけそうな気がしてたんだけどなぁ。全く根拠はないが、朝見上げた空に浮かんでいた雲のかたちがフラスコだったのだ。よっしゃこれは神の啓示!とはりきって取り掛かった結果は惨敗に終わった。ちくしょうこの世に神なんて居やしないのか。

「やっぱりまずは神様を信じるところから始めないとだめですかねぇ」
「……少佐、ほら。ファルマン少尉ですよ」

 ガン無視だーー!と私が泣き真似する前にファルマン少尉とやらが歩み出た。白の髪に痩せこけた頬。緊張しているのだろうか、椅子に座ったままの私を強張った表情で見下ろしつつビシッと敬礼する。

「ヴァトー・ファルマン少尉であります。今日からこちらに配属になりました」
「どうも初めまして。少佐です」
「……少佐は国家錬金術師、でしたよね?」
「い、一応……?」
「どうして自信なさげに言うんですか……少佐は立派な国家錬金術師じゃないですか」

 いやなんか、ここでは存在感薄すぎて空気っていうか。錬金術がなんぼのもんじゃい的な猛者共が跋扈するこのブリッグズ砦では国家錬金術師の肩書にぶっちゃけあまり意味などない。要するに普段の私はてんで役立たず。毎日毎日薄暗い小部屋に引きこもって実験に明け暮れる変わり者……と思われているかどうかは定かではないけれど、ともかく浮いた存在だった。国家錬金術師の資格を持っているというだけで佐官になってしまうこの国の制度がそもそも間違いなのかもしれない。私、上に立つタイプじゃないのに。

「いや~、砦じゃあ私みたいななよっちいのはどうにも肩身が狭くて」
「まあ、女性兵士も逞しい人が多いですからね」
「私も一応鍛えてるつもりなんですけどねえ。一向に成果が表れないのはどうしてだろう」
「体質もあるかもしれませんが……やり方の問題という可能性もありますよ。一度トレーニングについてバッカニア大尉に相談してみては?」
「ええ~……大尉かあ大尉なあ」
「大尉のこと苦手でしたっけ?」
「苦手っていうか……体格差ありすぎて……こう、油断したらぎゅっと握り潰されそうで」
「なにをばかなこと言ってるんですか、少佐」
「あ、あの~」

 やばい、存在忘れてた。完全に蚊帳の外だったファルマン少尉が困り顔で挙手したので私とシュナイダー中尉はやり取りを中断した。改めて見るとなんだか幸の薄そうな人だ。それに、砦に居る他の兵士と比べて線が細い。

「すみません、私と中尉はいつもこんな感じなので気にしないでください」
「は、はあ……」
「それよりファルマン少尉は私の部下になるということですか?」
「ええ、そう伺っております」
「私、一応銀時計パワーで地位は少佐ですけど、砦では最弱なので仕事のことはこちらの中尉から指示します」
「……さ、最弱……」
少佐は組織上は氷柱落としの兵士を取り仕切ってるけど、普段は錬金術の研究を許可されていてこの部屋に籠りきりなんだ」

 シュナイダー中尉が補足を入れる。いやあ、優秀な部下を持って幸せだ。うんうん、と満足そうに頷けばその中尉から「鍛えたいならまず引きこもりをやめた方が良いと思いますけどね」などとまたしても正論をぶちかまされた。

「それに私みたいな小娘に指図されるのもあまり気分の良いものではないでしょうし」
「え、いやそんなことは」
「ちょっと待ってください少佐、それなら私だって同じ立場なんですが?」
「シュナイダー中尉と私はほら、もう長い付き合いだし」
「1年程度ですけどね」
「もー、細かいことは気にしない!」
「そうだ。ちょうどいい機会ですから、ファルマン少尉の案内は少佐がされてはどうです?」
「え、ええ~~」
「まあまあ、実験ばかり根を詰めていては上手くいくことも上手くいきませんよ。気分転換だと思って、ね!」

 ずいずいと中尉に背中を押され、私とファルマン少尉は追い出されるように部屋の外に出た。そのまま無慈悲にもドアは固く閉ざされてしまう。

「……ええ……なにこれ、パワハラ?」

 部下が上司にパワハラってパターンもあるのかあと私は無駄知識を蓄えてしまった。私のつぶやきは廊下に虚しく吸い込まれ、隣の少尉もなにも言わないものだからしばらくはゴウンゴウンとなにか装置の動く音だけになる。

「……ど、どうされます、か?少佐……」
「……仕方ないですね、私がご案内します。ただ、一つ問題があって……」
「なんですか?」
「私朝から晩までここに籠ってるので、砦の中にはあんまり詳しくないんです」
「……」

 あっ、すごい露骨に不安そうな顔されてる。

「で、でも歩いているうちに思い出すかもしれないですよね!」
「……で、では、よろしくお願いします……」

 ファルマン少尉はすっごく嫌そうにしながらも一応上官である私には逆らえないのか、後ろからとぼとぼと付いてきた。ええと、こっちが出入口だから……と私は思い出しつつ進んでいく。と、とりあえずお手洗いとか食堂とか、必要最低限なところだけ案内してあとは他の人に任せよう。早くも道案内を諦めた私は自分の良く知っているところをさっさと案内してさっさと研究室という名の備品庫に戻ることにした。砦で迷子はシャレにならない。

「ファルマン少尉はどちらから異動されてきたんでしたっけ」
「北方司令部です。でもほんの短い間で……その前は中央司令部に」
「中央!いいなあ。私、セントラルには行ったことがないんです」
「どこか行きたいところでもあるんですか?」
「え……うーん、そういうわけじゃないんですけど……ほら、田舎の出身だと一度は都会に憧れるもんじゃないですか」
「はは……気持ちはわかります」
「あっ!行きたいところ、ありました!国立中央図書館!」
「それはやっぱり、研究のため、ですか?」
「ええもちろん!研究が恋人ですからねー」
「……たしかに、少佐は変わった方ですね」

 予想外の反応に一瞬言葉を失って見上げたら、「しまった」みたいな顔の少尉と目が合う。この人、顔に出るタイプなんだな。最初はポーカーフェイスかと思っていたがどうやら違うらしい。

「す、すみません!失礼なことを……!」
「良いですよ。たぶん本当のことでしょうから」
「……シュナイダー中尉から伺いました。いつも研究に没頭されていて、食事を忘れることもあるとか」
「忘れてないですよ。ただ食事してる暇があるなら研究したいってだけで」
「……錬金術が、お好きなんですね」
「いえ、錬金術は大嫌いです」

 私がしれっとそう言ったら少尉は困惑したように「え……」と呟いた。まあ、矛盾してるよなあ。

「嫌いですけど、私は錬金術をやるしかないんですよ。私たち国家錬金術師に求められているのは、目に見える成果ですから」

 無駄話をしているうちに研究室が見えて来た。実家のような安心感に私は思わず息を吐く。ちょうどその研究室からシュナイダー中尉が顔を出した。

「あれ、もう戻って来たんですか少佐。随分早いですね」
「……いやあ、なんか迷子になりそうな予感がしたので」
「だから、貴女はもう少し外に出ないと」
「ああああもうわかりましたわーかーりーまーしーたー!」
「……子供ですか」
「子供で結構なので中尉、バトンタッチしてください」

 中尉の眼前に右手を上げたら、ため息を吐きながらもハイタッチしてくれた。なんだかんだで中尉も甘いのである。

「ではファルマン少尉、私はこれで失礼しますね」

 そう言ってひらひらと手を振って再び研究室に引きこもる。と、部屋がなんだかきれいになっていることに気付いた私はすぐに中尉の顔を思い浮かべた。ああ、また仕事を増やしてしまったか。よし、中尉のためにも次は成功させてやると意欲を燃やした私は薄暗い部屋の中で実験ノートを開いた。





←back book next→


現実と空想の境界線を毎日引き直す::行き場のない言葉